2022-08-24
ラーダ・ダンナの夏休み⑫山が御神体 大神神社 歩き疲れてヘロヘロ 橿原神宮
さ~あ、長らく書いてきた奈良の旅もこれで終わりです。

どこに行くのか、わかります?

大きな鳥居が見えます。
てっきりこちら側に目指す神社があると思って進んでいたところ、ずいぶん行ったところで逆方向だと気づきました。
でも、おかげでやっと昼食をとることができました


やって来たのは、大神神社(おおみわじんじゃ)

大神神社は、出雲大社と共に日本最古の神社といわれています。
ご神体は三輪山そのもので、本殿はなく、拝殿から三ツ鳥居を通して山に向かって拝みます。
三輪山は国を開いた大物主大神(大国様)が御魂を留めたという霊山です。

山を御神体とする考え方は、山や森の聖なる場所に神が宿るという古代の神信仰で、こういった思想のことを「アニミズム」と呼びます。
山に神が宿るという思想はなにも日本に限らず世界中にあり、有名な山でいうとエベレストやキリマンジャロも神体山で、オーストラリアのエアーズロックはアボリジニに神の山として信仰されています。

ご神体の三輪山は、古くから一木一草にいたるまで斧で伐採することを許されていないそうです。
また、、三輪山登拝は申し込みが必要で、参拝証である白いたすきを首に掛け、御幣(ごへい)で自らおはらいをしなければ入山することができません。
そして、山中では飲食、喫煙、写真撮影の一切が禁止され、神の山に対する崇敬の気持ちを持つことが求められています。

三輪と言えば、三輪そうめん


神社の前から桜井駅までバスに乗ります

桜井駅に戻ったところで、特に休憩できるお店もないので、また移動・・・うううっ


そして、橿原神宮前駅にも何もない・・・ので・・・ふて腐れながら移動



駅からかなり歩いたと思ったら、ここからまた拝殿までが遠い・・・



初代天皇であると伝えられる神武天皇が橿原宮で即位したという「日本書紀」の記述に基づき建てられました。
祭神は神武(じんむ)天皇とその皇后・ヒメタタライスズヒメです。
本殿は京都御所の賢所(かしこどころ)を移築したもので、文華殿と共に重要文化財に指定されています
(じゃらんnet 橿原神宮より)

神武天皇と皇后を祀る壮大な神宮ってことですが、あまりの壮大さに疲れがMAX 顔も無表情に・・・


で、またトボトボ駅へと戻ります



シアワセの黄色いポスト?
さて、どんなに疲れててもこんな時間まで奈良を離れられなかったのは、これに乗るためでした・・・

近鉄の新型特急「ひのとり」
きゃ~!
ステキ!
カッコいい!
しびれるぅ~💛
ついに乗れるのね!
●オマケ 「今回の奈良の旅で集めた御朱印コレクション」(一部)

唐招提寺 興福寺

興福寺 東大寺

春日大社

大神神社

橿原神宮
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2022-08-21
ラーダ・ダンナの夏休み⑪しかし、シカばっかり春日大社
広大な敷地を持つ奈良公園の一部は、春日大社の境内でもあります



シカに煎餅をあげたことがある人は経験済かもしれませんが、まあまあ狂暴です


春日大社は若草山と、それに連なる春日山の麓にある全国の春日大社の総本社で、世界遺産に登録されている名社です。
その春日大社の祭神、武甕槌命(タケミカヅチノミコト)は鹿島神社(茨城県)から神鹿に乗ってってやってきたと伝わるため、鹿は神の使いとして古くから手厚く保護されてきました。

現在も奈良の鹿は天然記念物として大切に保護されています。

一之鳥居から本社にかけての参道には1786基もの石灯篭が並んでいます。


約1000基もの釣燈籠が吊るされた回廊。
釣燈籠には有名な歴史上の人物が寄進したものもあるとか。


夜の暗さの中だとこんな感じの明るさなんですね~
結構、暗いです


春日大社では年2回、「万燈籠」が行われ、夕方から燈籠一つ一つに火が燈されます。

中元万燈籠は例年8月14日・15日に行われており、境内にある約3,000基の燈籠(約2,000基の石燈籠・約1,000基の釣燈籠)に火が灯されます。
有料で献燈をすることもでき、14日に舞楽、15日に神楽が奉納されます。

次に向かったのが、同じ敷地内にある「夫婦大國社」。
日本で唯一、ご夫婦の大國様を祀っています。
大國主命と須勢理姫の夫婦神を祀る神社で、夫婦円満、家内安全、縁結びにご利益があるそうです。

夫婦守り
それぞれの旅行用のリュックにつけました。

奈良はホントにシカばっかりだのぅ・・・




そして、大仏・・・

大仏消しゴム

大仏靴下
人前でこれ見よがしに靴を脱いで見せたいわ~

さてさて、まだまだ移動ですよ~


2022-08-17
ラーダ・ダンナの夏休み⑩ あらためて東大寺
遠足や修学旅行でよく行く場所の一つに東大寺がありますね~

コレクションのマグネットと線香をさっそくゲット💛
私は今まで数えきれないほど行ってるので、「今さら?」と思うのですが、ずっと関東で育ったダンナにとっては「せっかく奈良に行くなら(シャレ?)東大寺」と思うようです。

興福寺からテクテクと歩いて奈良公園



奈良県庁では、アノ人がお出迎えしてくれます。

マスクをして会いに来てね~

せんとくんにはあちこちで会いますが、いったい何体あるんでしょうか

東大寺は平城京の東にあることからそう呼ばれますが、これは通称で、正式には「金光明 四天王護国之寺(こんこうみょう してんのう ごごくのてら」と言います。

建立したのは、聖武天皇。
凶作・疫病、そして朝廷内の政争と悪い事ばかり続いたので鎮護国家を願い、仏教の力で世の乱れを鎮めようと大仏が作られました。
法相宗同様、中国に起源をもつ華厳経の大本山が東大寺です。

ご本尊は盧舎那大仏(るしゃなだいぶつ)
実在したお釈迦様がモデルの釈迦如来に対し、盧舎那仏は宇宙の真理そのものを表した観念的な存在と言われています。
工事には延べ、42万人が参加し、大仏鋳造だけで約3年8ヵ月もかかっています。
その工法とは・・・
①石を積んで土台を作る
②その上に木で大仏の骨組みを組み立てる
③その上に粘土を塗り固めて、元になる像(中型)を作り、乾燥させる
④その上にミツバチの巣を加熱・圧搾して採った蜜蝋を塗る
⑤そして、その上にさらにまた粘土を上塗りする(外型)
これによって、蜜蝋が粘土で挟まれた状態になるので、その部分に銅を流し込んで上の粘土を剥がすという作業をする・・・
とは言え、一挙に全体ができたわけではなく、下から上までなんと8回に分けて同様の作業が繰り返されました。

使われた銅は24万トン。
当時、日本にあったほとんどの銅が使われたと言われています。
盧舎那仏像も戦国時代の永禄10年(1567年)には火をかけられ、首や手が焼け落ちてしまいます。
その後、修復され現在に至っていますが、奈良時代に作られた部分は台座の一部などが残っているにすぎません。
世界最大の木造建築とされる大仏殿も、過去に3度建て替えられ、今の大仏殿は江戸時代に建てられた三代目だそうです。

仏像の鼻の穴と同じサイズにくりぬかれた柱もコロナ禍では通りぬけできませんでした
今も昔も、大仏を見るとやっぱり素直に「でか~!」と思いますねぇ
重機や3Dプリンターもなかった時代に、ここまでの規模のものを作るのはホントに大変だったのでしょうね


修学旅行生で賑わうのでしょうね

でも、お土産に「ウケ狙い」とかいらないからね!

吉野ひのきのまな板と吉野杉の箸
ものすご~くいい香りです!(^^)!

人力車でひとっ走りしておくれ~!と、言いたいところですが・・・・
次も歩いて、春日大社へ・・・


これが、心挫けるほど歩くんですよ・・・ううう
2022-08-14
ラーダ・ダンナの夏休み⑨ もしや、あのアニメのヒント?勝手に妄想が暴走 興福寺
奈良に行くなら、ぜひ見たいモノがありました。

興福寺と言ったら、阿修羅像ですよ
阿修羅像じたいは見たことがあったのですが、数年前に「阿修羅ブーム」がやって来て話題になり(ちなみに、今年は空也上人ブーム?)、もう一度じっくりと見てみたいな~と思っていました。

パンフレットは頂けますが、展示物についてもう少し詳しく知りたい方はこんなリーフレットもあります(100円)

さっそく、阿修羅像との再会です
阿修羅は帝釈天と戦う悪神でしたが、釈迦の説法を聞いて仏教に帰依。
仏教に取り入られてからは仏法を守護する鬼神となりました。

阿修羅が所属するのは(?)八部衆

(ウィキペディアより)
他のメンバーがみな、揃いの甲冑を着ているのに対し、阿修羅だけは腰布を巻き、豪華なジュエリーを身に着けています↓


阿修羅像
梵語(ぼんご)(古代インド語)のアスラ(Asura)の音写で「生命(asu)を与える(ra)者」とされ、また「非(a)天(sura)」にも解釈され、まったく性格の異なる神になります。ペルシャなどでは大地にめぐみを与える太陽神として信仰されてきましたが、インドでは熱さを招き大地を干上がらせる太陽神として、常にインドラ(帝釈天)と戦う悪の戦闘神になります。仏教に取り入れられてからは、釈迦を守護する神と説かれるようになります。
像は三面六臂(さんめんろっぴ)、上半身裸で条帛(じょうはく)と天衣(てんね)をかけ、胸飾りと臂釧(ひせん)や腕釧(わんせん)をつけ、裳(も)をまとい、板金剛(いたこんごう)をはいています。
(興福寺のHPより)
メンバーになってから日が浅いので、オーダーした甲冑が手元に届くのにはまだ時間がかかるとか?
さて、この八部衆のメンバーを見てて気づきました。

獅子冠を被っている「乾闥婆像(けんだつばぞう)」
乾闥婆は楽器を奏でる楽神だそうですが、なぜに・・・獅子・・・?
これって・・・

画像はお借りしました
可愛いらしい顔を隠すために、猪の被り物を被っているという、鬼滅の刃の嘴平伊之助(はしびらいのすけ)のモデルじゃ・・・?

(ウィキペディアより)
それだけでなく、同じく国宝館に展示されている国宝の「十二神将像」。
十二神将像は、薬師如来のまわりで仕えている将軍。
この薬師如来を中心として仕えている12人・・・とかいうシステムも鬼滅っぽくな~い?
物語に出てくる「柱」(カリスマ的リーダー?)をとりまく9人のメンバーと昔のエリートな重要メンバーを合わせると、作中で登場するのは12人・・・。
そして、敵側にも、親分(?)を取り巻く重要なエリートメンバーも12人(十二鬼月:じゅうにきづき)
って、ネット検索してもまったく引っかからないので、勝手なワタシの妄想なんですが~


興福寺にも鹿がいるんですな~

希望者は頂けたので、実家と弟にも送りました

奈良や京都を巡るときにあると便利!チケットホルダー


線香ゲット!
さて、まだまだ行きますよ~


2022-08-10
ラーダ・ダンナの夏休み⑧ 唐招提寺と北京料理
次に向かったのが、唐招提寺(とうしょうだいじ)


薬師寺から歩いて行きます。

ポストが茶色です

いったい、どこまで歩くんだよ~


唐招提寺・・・薬師寺と違ってずいぶんと地味な印象ですね・・・
唐招提寺は、高僧:鑑真(がんじん)が創建した戒律実践の場です。

唐招提寺に安置されている国宝「鑑真和尚像」(ウィキペディアより)
鑑真は唐の時代に揚州で生まれ、14歳の時に出家し、長安や洛陽で修行に励みました。
仏教の修行には3つの段階があり、三学と言います。
●戒学(かいがく);戒律(戒と律)を知り、これを守ること
●定学(じょうがく);禅定(瞑想)の実践法を修めること
●慧学(えがく);智慧を身に着け、真実を見きわめること

奈良時代の日本には三学のうちの「戒」を授ける資格を持った僧侶がまだおらず、唐から戒師を呼ぶしかなかったため、聖武天皇の招請により、鑑真は日本への渡航を試みました。
しかし、5度も渡航に失敗し、視力を失いながらも6度目でついに渡航を果たしました。
来日後、東大寺で聖武天皇以下400人に日本で最初の授戒をほどこしました。
5年後に平城京の右京五条二坊にあった新田部親王の旧宅を譲り受け、この地を戒律の修行をする道場としたことに始まります。


唐招提寺からバスで奈良駅へ向かいます。

JR奈良駅

奈良市総合観光案内所 (JR奈良駅旧駅舎)で食事する場所を聞いたところ、JRよりも近鉄奈良駅の方が賑わっているというので、散策しながら向かいました。
んが。
それって、どこ?
奈良のメインストリートってここ?
こじゃれたお店じゃなくても、何かあるでしょ
せめて、チェーン店でもあるでしょ
最悪、マクドナルドはあるでしょ
んが。
・・・・・
・・・・・・
・・・・・・・・・

奈良まで来て、なぜに北京料理・・・(しかも老舗っぽい高級店)


まぁ、景色は良かったけど・・・

正直「なんだかな~・・・」って感じ。
それは翌日も変わらず・・・
奈良、手ごわいわ・・・

つづく
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