2019-08-01
ラーダ・ダンナの夏休み⑧ 旅の終わりに・・・
やっと、最後の旅レポートです・・・
んが。
パソコンがいきなり、壊れ、あれこれ悪あがきをしてあちこち触ったら、取り込んでいた写真も全部消えてしまいました・・・。
ううう、ちゃんとUSBにデーターを移しておけばよかったんですが、
突然やってくる、パソコンのストライキよ・・・
結局、専門店に持ち込んで直してもらいました。
買ってから保証期限が切れている場合は、パソコンを購入した大型電気店よりも、専門店に持ち込んだほうが早いようです。
なんと、持ち込んだ翌日に直りました!(^^)!
私はスマホも持ってないし、携帯電話も電話の受け答えとメールの送受信しか設定してないので、旦那のスマホからコメント欄に皆さまあてにお知らせを書いたのですが、気づいてくださったでしょうか・・・・ううう
そんなわけで、引っ張るだけ引っ張った旅ネタの結末ですが、新居関所から隣の駅の弁天島まで歩きました。
その距離、4㎞。
つまり、橋を通って浜名湖を徒歩で渡ったのです。
歩きながら、浜名湖を堪能できるわ~!と思ったのですが、途中で歩道がなくなり、橋の下をくぐって道を探す・・・ということに。
新幹線では一瞬で通り過ぎてしまう湖を、隅々まで堪能し、普段は見ることのない橋の下を歩くことができ、なかなか素敵な風景だったんですけどね・・・

浜名湖の中にある、弁天島の鳥居(Wikipediaより)
なんと、これはただの「飾り」です。
別に神社があるわけでもないんですね~

おしゃれリゾート風な海浜公園(Wikipediaより)
でも、ちょっと素敵な動画があったので、代わりにUPしておきます。
歩いた後はやっぱり、アレでしょう♪

(Wikipediaより)
浜松餃子
浜松市は餃子専門店が約80軒あり、餃子をメニューとして出す飲食店を含めると300軒以上あるそうです。
今回は帰りの新幹線の時間に間に合うように、駅の近くのお店にしました。
観光案内所でも「浜松餃子マップ」がもらえます。
浜松餃の特徴としては、キャベツをたっぷりと使った甘味。それに、薄い塩味で軽く茹でたモヤシ(ナムルみたいなもの)を添えるようです。
長々とお付き合いくださり、ありがとうございました。
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2019-07-28
ラーダ・ダンナの夏休み⑦・旅籠:紀伊国屋・芸妓置屋:小松楼
さて、関所があれはその周辺に旅籠もありますね~
関所で新居宿 旅籠・紀伊国屋資料館の共通券を買ったので、旅籠の方にも行ってみましょう

旅籠:紀伊国屋

紀伊国屋の創業ははっきりしませんが、主人が紀州の出身で、江戸初期に新居に移り住み茶屋を営んだのが始まりといわれます。
江戸時代中期の元禄16年(1703)には徳川御三家紀州藩の御用宿となっており、その後「紀伊国屋」の屋号を掲げました。昭和戦後に廃業するまで約250年、旅館業を営みました。
建物は明治初めの再建ですが、随所に江戸期の建築様式を色濃く残し、平成13年(2001)に解体修理を行い、当時の風情を体感できる施設として公開しています。【市指定有形文化財】
(湖西市観光振興協議会HPより)





ところで、弥次さん・喜多さんが珍道中を繰り広げる「東海道中膝栗毛」というのがありますが、この本が出版された頃から一般庶民の間でも旅を楽しむ人々が増えてきたようです。

彼らの目的は寺社への参拝だそうですが、知らない土地の珍しい風物に触れることができるため物見遊山も兼ねていました。
ところで、東海道の旅の一日の路銀(旅費)はいったい幾らぐらい必要だったと思いますか?
一泊2食つきの旅籠だと、平均で150~200文ぐらいの料金が相場だったようです。
諸々の雑費までを含めると一日に400~600文程度が必要だったそうです。
現代のお金に換算すれば、およそ 8000~1万5000円ぐらい。
紀伊国屋でも現在の金額で言えば6,000円ぐらい・・・と、結構なお値段だったのですね~


紀伊国屋の名物だった、鰻の蒲焼


二階からは東海道が見えます。
紀伊国屋資料館の方に、お勧めされた国登録有形文化財の芸妓置屋:小松楼が無料で見学できるので行ってみます。

現在は、小松楼まちづくり交流館となっています。

建物は明治末期以前のものを現在の地へ移築し、その後数回の増改築を行っています。2階は座敷となっており、独特の間取りやべんがら色の壁など当時の面影を残しています。
平成22年9月1日から小松楼まちづくり交流館としてリニューアルオープンしました。
(芸妓置屋:小松楼HPより)

新居関所は明治2年に廃関となりましたが、栄町から泉町に面した裏通り界隈は明治末期から戦前までは歓楽街として栄えました。
最盛期には、芸妓小屋が11軒、カフェやバーなどもありました。
周辺は養鰻、製糸業などの産業も盛んで、漁師町であったため、漁師や網元らも多数出入りして賑やかだったようです。



たくさん入る下駄箱。

下駄の高さに合わせて棚の高さも違うそうです。

関所も小松楼もボランティアガイドさんが親切、丁寧に解説して下さったので、思いがけず楽しめました。
さて・・・。
夕方には帰りの新幹線に乗らないといけません。
この後、どうする??
ラーダ・ダンナ旅
またまた過酷な試練が・・・

つづく
2019-07-25
ラーダ・ダンナの夏休み⑥新居関所跡
さてさて、皆さんの予想は当たりましたでしょうか?

愛知県豊橋市から電車に乗って、静岡県湖西市入りしました。


目的の関所は歩いて10分。


箱根の関所とともに東海道の重要な関所であり、当時の建物が現存する全国唯一の関所跡。
慶長6年(1601)徳川家康が設置。
江戸時代には「今切関所」と呼ばれていました。
当初は浜名湖の今切口に近い場所にありましたが、再々津波に流され、宝永5年(1708)現在地に移されました。

渡船場

面番所

ここで厳しい取り締まりが・・・。

江戸時代には全国に53の関所がありました。
そのうち、新居・箱根・木曽福島が「最も重き関所」とされ、取締りは厳重で、特に入鉄砲出女の詮議は厳しかったため、婦女子がここを避け、湖北を回る姫街道を通ることが多かったそうです。

新居関所は江戸への最初の関門、江戸から出るときは最後の関門ということもあり、他の関所よりも特に「入鉄砲と出女」の改めが厳しい事で知られていました。

女通行証
江戸から出る「出女」だけでなく、関所を通る上り下りの女性も調べられました。
女性は通行手形を必ず所持すること、また、手形には「発着地」「身分」「人数」「年齢」「乗り物」の有無などを記載することが定められていました。

双筆五十三次 荒井 歌川広重 安政2年(1855)
「入鉄砲・出女」のチェックが厳しかった海の関所「荒井」では、そこをすり抜けるため女性が男装することが少なくなかったらしい。
ホントに男なのか、女なのか、怪しいことはないのか?と着物をめくって虫メガネ(?)でチェックする「あらため婆」。

関所には「女改め」をする女性がいて、通行者を調べていました。
結った髪をほどかせたり、着物の襟や襦袢の紐の中に密書が入っていないかなどのチェックもされたそうです。
この役は、関所勤務の足軽の母親や妻が務め、「改め女」と呼ばれました。
公家や大名の妻など身分の高い女性は「本陣改め」「宿改め」と言って、関所役人が本陣や旅籠へ出向いて行って調べました。
女性はここまで厳しいのに、男性の場合は名前を聞く程度で済んだそうですよ~



周囲には高い塀が・・・

今は一般の歩道に門があるので、通行人は誰でも通れます

つづく
2017-08-30
松林と潮風に囲まれて・・・沼津御用邸記念公園

明治26年、大正天皇(当時:皇太子)のご静養のために造営された沼津御用邸は、昭和44年に廃止され、翌年に沼津市が「沼津御用邸記念公園」として開設しました。



西附属邸は、明治38年、昭和天皇の御用邸として設けられ、大正11年に現在の形になりました。
謁見所などの公式な部分と 御座所などの居住部分が一体となった、当時の皇族方の生活の様子を感じ取ることができる、木造平屋造りの和風建築。
宮廷建築としては全国的にも貴重な事例であり、住宅史の上からも意義の高い建築物です。

木材は建築当時のものを洗い出し、腐りや傷みのある部分だけを取り替えているほか、ガラスは建築当時のものに復元するため、ドイツの職人による手作りのものを使用しているそうです。



台所



沼津御用邸は、明治26年(1893年)大正天皇(当時は皇太子)の御静養先として本邸が建設されました。
その後、御学問所として東附属邸が建設され、次にご幼少であった昭和天皇のお住まいとして、
西附属邸が順次整備され大正11年(1922年)に御玉突所が増築され完成をみました。
昭和20年(1946年)7月の沼津大空襲により、本邸は焼失しましたが東西附属邸は焼失を免れ、
昭和44年(1969年)まで御用邸として使用されていました。
昭和45年から沼津市の管理となり、沼津御用邸記念公園として整備され、今日に至っています。
平成28年(2016年)10月には、沼津御用邸記念公園の一部の景観が「旧沼津御用邸苑地」として国名勝指定を受けました。
(公式サイトより抜粋)


明治・大正・昭和の3代 77年間にわたり、天皇皇后両陛下や皇族の方々に利用されて来ました。
特に、歴代の天皇皇后両陛下、皇太后陛下のご利用日数は約5000日にもおよび、同時期の他の御用邸にくらべて最も多く利用されたそうです。

謁見所

御座所


ちゃんと紳士用のも左側のお部屋にありました。





まだまだ見どころはあるのですが、行った時間が閉館ギリギリだったので東付属邸までは行けませんでした。




記念品も購入できます。
■「一筆箋」 はまなすなどの御用邸にちなんだ6種類の絵柄がそれぞれ5枚ずつ綴られている一筆箋です。
■「ふくさ」
ポリエステル100%の小風呂式に「おしるし」の刺繍が入ってます。
私は淡いパープルの地に皇后様の「おしるし」の《白樺》にしました。
雅子様(ハマナス):ローズ色の生地にハマナスの刺繍
紀子様(檜扇あやめ):紺色の生地にアヤメの刺繍
■「飴」はソーダ味です。
theme : 伊豆・箱根・富士五湖
genre : 旅行
2017-08-28
沼津 たそがれ海岸散歩
さて、伊豆長岡の宿をチェックアウトした後は、次の宿がある沼津に向かいます。
しかし、宿にチェックインする前に行かないといけない場所があります・・・。
今回は2泊3日の旅だったのですが、うっかり勘違いして2日分の着替えしか持って来なかったのです。
前日も2日目も晴れて汗だくだくになってしまい「翌日も同じ服を着る」というのはどうしてもイヤで、着替えの服を買う必要があったのですね~
しかし。
恐ろしきかな、田舎の駅前・・・。
どこにでもあるような「ユニクロ」だとか「しまむら」だとかのチェーン店がないのです!!!!
あるのは、寂れた商店街だけ・・・。
ダンナがスマホで調べたところ、駅から徒歩20分ぐらいのところにヨーカドーがあるということで、開店に合わせて行ってみたところ、その日は、まさかの「棚卸の日」で開店は12時半から!!!
がび~ん!
せっかく、重い荷物を背負って、えっちらおっちら歩いて来たのに・・・・ううううッ
それでも、なんか服を売っている店くらいあるやろ~と思っていたのですが、これが、ホント~にない・・・。
女性モノの服屋はなんとかあって、妥協しつつも買えたのですが、男性モノの服屋ってないんですね~

商店街に「紳士のおしゃれ着」屋みたいな、レトロ感漂う店があるだけ・・・。
これは、我慢して汗だくの服を翌日も着るか、もしくは浴室で洗って乾かすか(最悪、半乾き・・・)
結局、服が見つからない「どよ~ん」とした気持ちのまま、荷物を沼津駅のコインロッカーに預け、次の目的地の三嶋大社へ向かうため一駅先の三島駅へ。

三島駅。天気のいい日は富士山が見えるんですけどね~

冬だとこんな感じ
ちなみに、駅前の信号機の音は「あ~たまを雲の上に出し~♪」という童謡「富士山」の曲です。
三嶋大社の裏口

静岡県東部の伊豆半島基部、三島市の中心部に鎮座する。境内入り口の大鳥居前を東西に旧東海道、南に旧下田街道が走る。周辺は伊豆国の中心部として国府のあった地で、のちに三嶋大社の鳥居前町として発達、いつしか地名も大社に由来して「三島」と称されるようになったとされる。
社名の「三嶋」とは伊豆大島・三宅島等から成る伊豆諸島を指すと言われ、主祭神は伊豆諸島の開拓神である。当社は、古代には伊豆諸島の噴火を畏れた人々から篤く崇敬された。中世に入ると、伊豆国の一宮として源頼朝始め多くの武家からの崇敬を集めた。近世以降は三島が東海道の宿場町として発達したことに伴い、東海道を往来する庶民からも篤く信仰された神社である。
境内では本殿・幣殿・拝殿が国の重要文化財に、キンモクセイが国の天然記念物に指定されている。また社宝では、北条政子の奉納と伝わる国宝の「梅蒔絵手箱」を始めとして、多数の所蔵品が国の重要文化財や静岡県指定文化財に指定されている。
(ウィキペディアより)


午前中は服探しに時間を取られ、なおかつ電車で三島に移動し、またそこから20分かけて徒歩で三嶋大社へ・・・。
最初の話では、電車に乗って富士山の見える場所まで目的地を決めずに移動してみようか・・・と言っていたのに、もう、へろっへろ(へろへろ・へろっぴー
)
駅前で名物のウナギを食べるつもりだったけど、一人前3,000円という金額にビビり(安いワケないですな)、結局、駅前の不二家レストランでビーフカレーを食べる・・・という「なにやってんだか夫婦」です。とほほ
またまた電車で沼津に戻り、やっと開店したヨーカドーでセールで叩き売りしていたダンナの服(なんと、900円!)を手に入れ、宿へ・・・。

ふふふ・・・。わかります?
宿のすぐ裏には海岸があるのですよ!

日が暮れる前に海沿いを散歩しましょう。


結構、波が強く中に入るとさらわれそうなので、翌朝また来てみましょう。


ちょうど海の家も店じまいしている最中でした。


駿河湾は波が荒いのか、貝殻は全然ないですね~
細かく砕かれた小石が多かったです。

なぜ、こんな場所があるのかって?
ふふふ・・・。その答えは後でわかります。



この話は次回に
しかし、宿にチェックインする前に行かないといけない場所があります・・・。
今回は2泊3日の旅だったのですが、うっかり勘違いして2日分の着替えしか持って来なかったのです。
前日も2日目も晴れて汗だくだくになってしまい「翌日も同じ服を着る」というのはどうしてもイヤで、着替えの服を買う必要があったのですね~
しかし。
恐ろしきかな、田舎の駅前・・・。
どこにでもあるような「ユニクロ」だとか「しまむら」だとかのチェーン店がないのです!!!!
あるのは、寂れた商店街だけ・・・。
ダンナがスマホで調べたところ、駅から徒歩20分ぐらいのところにヨーカドーがあるということで、開店に合わせて行ってみたところ、その日は、まさかの「棚卸の日」で開店は12時半から!!!
がび~ん!

せっかく、重い荷物を背負って、えっちらおっちら歩いて来たのに・・・・ううううッ

それでも、なんか服を売っている店くらいあるやろ~と思っていたのですが、これが、ホント~にない・・・。
女性モノの服屋はなんとかあって、妥協しつつも買えたのですが、男性モノの服屋ってないんですね~

商店街に「紳士のおしゃれ着」屋みたいな、レトロ感漂う店があるだけ・・・。
これは、我慢して汗だくの服を翌日も着るか、もしくは浴室で洗って乾かすか(最悪、半乾き・・・)
結局、服が見つからない「どよ~ん」とした気持ちのまま、荷物を沼津駅のコインロッカーに預け、次の目的地の三嶋大社へ向かうため一駅先の三島駅へ。

三島駅。天気のいい日は富士山が見えるんですけどね~

冬だとこんな感じ
ちなみに、駅前の信号機の音は「あ~たまを雲の上に出し~♪」という童謡「富士山」の曲です。
三嶋大社の裏口


社名の「三嶋」とは伊豆大島・三宅島等から成る伊豆諸島を指すと言われ、主祭神は伊豆諸島の開拓神である。当社は、古代には伊豆諸島の噴火を畏れた人々から篤く崇敬された。中世に入ると、伊豆国の一宮として源頼朝始め多くの武家からの崇敬を集めた。近世以降は三島が東海道の宿場町として発達したことに伴い、東海道を往来する庶民からも篤く信仰された神社である。
境内では本殿・幣殿・拝殿が国の重要文化財に、キンモクセイが国の天然記念物に指定されている。また社宝では、北条政子の奉納と伝わる国宝の「梅蒔絵手箱」を始めとして、多数の所蔵品が国の重要文化財や静岡県指定文化財に指定されている。
(ウィキペディアより)


午前中は服探しに時間を取られ、なおかつ電車で三島に移動し、またそこから20分かけて徒歩で三嶋大社へ・・・。
最初の話では、電車に乗って富士山の見える場所まで目的地を決めずに移動してみようか・・・と言っていたのに、もう、へろっへろ(へろへろ・へろっぴー

駅前で名物のウナギを食べるつもりだったけど、一人前3,000円という金額にビビり(安いワケないですな)、結局、駅前の不二家レストランでビーフカレーを食べる・・・という「なにやってんだか夫婦」です。とほほ

またまた電車で沼津に戻り、やっと開店したヨーカドーでセールで叩き売りしていたダンナの服(なんと、900円!)を手に入れ、宿へ・・・。

ふふふ・・・。わかります?
宿のすぐ裏には海岸があるのですよ!


日が暮れる前に海沿いを散歩しましょう。


結構、波が強く中に入るとさらわれそうなので、翌朝また来てみましょう。


ちょうど海の家も店じまいしている最中でした。


駿河湾は波が荒いのか、貝殻は全然ないですね~
細かく砕かれた小石が多かったです。

なぜ、こんな場所があるのかって?
ふふふ・・・。その答えは後でわかります。



この話は次回に

theme : 伊豆・箱根・富士五湖
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