2020-10-28
やっぱりアレを買いに行こう
駅に帰るのはまだ早いので、途中下車します。

富山城址公園


おや、どなた?
前田正甫公(まさとし)
加賀藩の支藩・富山藩の第2代藩主。
初代藩主である父・利次の後を受け、文武の振興を図り、新田開発や産業育成など藩政の充実に力を注いだそうです。
また、前田正甫は生まれつき病弱であったために、薬には造詣が深かったといわれます。
胃痛腹痛に効く反魂丹を富山で製造できるように尽力し、領内の商人に対し全国どこにでも富山製反魂丹の行商ができるよう許可を出しました。今でも続く、越中富山の薬売りの仕掛け人だと言えるでしょう。

ところで、富山で「売薬さん」が始まったきっかけを作ったのもこの方なのだとか。
元禄3年(1690年)、江戸城にて突然の腹痛に襲われた三春藩(現・福島県)藩主の秋田輝季公。
その時に居合わせた前田正甫が、腰に下げた印籠から丸薬を取り出して飲ませたところ、たちまち腹痛が治ったそうです。
その、丸薬というのが「反魂丹」。
その効き目を聞きつけた諸国大名が「是非とも我が藩にも売ってくれ」と頼んだことで、当時では珍しい藩を超えた行商が始まったのです(諸説あり)

ご城印
なんと・・・。ここでも、反魂丹!
やはり、買うべきだったか・・・!
って、あの歴史ある薬屋まで行って買わんかったんか~い!
と、思いますよねぇ
薬づくり体験までしたくせに。
だって、だってねぇ
あのお店では小さいサイズのモノがなかったんざんす
そして、それはとてもお高かったんですぅ
だから、ウチには陀羅尼助丸があるしぃ~
と、諦めたんですぅ
でもぉ、今買わずしていつ買うの?
今でしょ!

ご城印を頂いた案内所で廣貫堂の栞があったので、行って見ることにします。
しかし、閉館は5時まで・・・間に合うかな~?
急いで廣貫堂に向かっているときにダンナが
何だ、あれは!
・・・と、叫んだ先にいたのは

シロサギの群れぇ~
遠かったのでうまく撮れませんでしたが、カラスの群れのごとく、シロサギの群れが優雅にねぐらへ帰って来たようです。
トンビの群れも驚いたけど、シロサギの群れなんて初めて見ましたよ~
でっかい鳥は迫力がありますね


廣貫堂に着いたのは5時ギリギリだったので、併設の資料館は見学できませんでしたが、売店でお目当てのモノは買えました( *´艸`)

3回分の反魂丹(350円!)
「反魂丹」には数々の言い伝えがあります。
とやま民話によると
14世紀初めごろ、松井源長という武士の母が重い病気にかかりました。
いろいろ手を尽くしたものの、症状は悪化するばかりであとは神仏に頼るしかないと立山に登り一心に祈願しました。
すると、その夜の夢の中で阿弥陀如来から妙薬のつくり方を教わったのです。
急ぎ帰ったものの、一足違いで母は亡くなっていました。
嘆き悲しみながらも、源長は薬を調合、母の口に注ぎました。
すると、どうでしょう。
母は生き返り、病気も治っていました。
阿弥陀如来に「まだ来るのは早い」と言われ、
不動明王に「早く帰れ」と背中をたたかれたそうです。
つまり、「体に魂を返してくれる薬」というのが、反魂丹の名の由来です。
ウィキペディアによると・・・
「反魂」は、死者の魂を呼び戻す、つまり死者を蘇生させるという意味であり、「反魂丹」は、もとは中国の説話等に登場する霊薬の呼び名である(説話中に登場する類似のものに、焚くと死んだ者の姿が現れる香・反魂香がある)。

そして、風邪薬と鎮痛剤も・・・。
どれも、2・3回分です。
滅多に風邪を引かないので、市販薬を買っても飲み切れないで処分する事になってしまいます。
なので、これは「もしもの時」用に・・・。
鎮痛剤も携帯用として・・・(どちらも330円!)

すっかり辺りが暗くなってしまいました。(そして、今回の記事も長いですね~。すみません


それでは、富山駅に戻りましょう。
まだ、最後のミッションが残っています!

一度は食べたかった、富山のブラックラーメン
その名の通り、強烈なスープの色です。
駅の中に入っている、元祖ブラックラーメンのお店「大喜」です。
麺は、硬めのストレート太麺
スープは、濃い口しょうゆ
具は、塩っ辛いメンマ・手切りチャーシュー・粗切りネギ・粗びき黒胡椒

食べ方は、麺・チャーシュー・メンマをスープの中で混ぜる。
すべての具をスープに馴染ませることで美味しく食べれるとか。
メニューはラーメンとおにぎり・ライスだけ。
元々は、労働者のために濃い味付けでチャーシューのたっぷり入った「よく噛んで食べる」おかずの中華そばを・・・と考えたのがきっかけだそうです。
これは・・・
美味しいけど、ハマったら血圧と心拍数が上がりそう・・・


富山は美味しい水の県と言われているんですね~


試しに飲んでみたけど、違いがわからぬ女・ラーダ

とりあえず、買ってみた

水がうまけりゃ、味噌も酒も塩も旨かろう

蒲鉾もね♪買ってないけど。


ありがとう、富山!また来ます!(^^)!

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2020-10-25
路面電車に乗って、港へ

薬屋さんを出て港に向かう直通電車に乗るつもりが、目の前で行かれてしまったのでいったん、富山駅に戻ります。

令和2年3月21日に「富山駅路面電車南北接続」が開業し、富山駅南側を走る市内路面電車と富山駅北側を走る富山港線(旧富山ライトレール)が繋がりました。
新幹線駅の高架下に乗り入れる路面電車は、国内初だそうです。



駅の中2階から見るとこんな感じ。

なかなか面白い作りになってます。

では、地鉄市内電車環状線 富山港線に乗って岩瀬浜へ出かけましょう。

岩瀬エリアは、江戸初期から日本海を行き来する北前船の港町として栄えてきたそうです。
江戸時代から明治にかけて栄えた面影が残る街並みもあるそうですが・・・

静か~

山にはうっすら雪が・・・

なんか、いっぱいいる・・・

トンビ!
飛び立つとさすがにデカいですねぇ
群れで飛んでて怖かったです
でも、初めて近くでトンビを見てちょっとワクワクしたりして・・・💛
さて、食事に行きますか




運河沿いにある食事処 サンタフェ

外観を見ると「どこがサンタフェだよ」と思いますが、内装はなかなかお洒落でした。

白エビのかき揚げ丼
もうしばらく、かき揚げはいらん、と思うほど量が多かったです。

クーポンを利用したら1000円引きになりました♪

何かといろいろお得に使えそう・・・



帰りの電車まで時間があるので、ちょっと散策。
富山競輪

密にならないように椅子に紐が縛り付けてあります。

お洒落な環状線セントラム




途中まで市内を道路を走り、途中から線路に入ります。
バスに乗っているような、電車に乗っているような・・・
さて、帰りの新幹線までまだ時間があります。
次はどこで降りましょうか


つづく
2020-10-22
くすりの街・富山で伝統薬づくり体験
富山市に行ったら行ってみたい、と思っていた場所がありました。
富山市には市電が走っているので、お得なパスを買って出かけましょう



地鉄市内電車・環状線・富山港線・地鉄バスを利用できる、1日フリーきっぷです。
大人650円で乗り降り自由(小人330円)

乗車する年月日をコインなどで1ヵ所ずつ削り取って下車する際に車掌さんに見せればOKです。


路面電車にはあまり乗ったことがないので、ドキドキ

池田屋安兵衛商店

越中富山の伝統薬「反魂丹」(はんごんたん)をはじめ、20種類の自社製和漢薬や200種類以上の薬草を取り揃えており、今でも薬剤師さんが一人一人の症状に合わせて調剤してくれる「座売り」を継承している、和漢薬のお店です。



このお店では、木製の製丸機を使った丸薬製造を見学できます。
動・植物性の生薬を練ったものを製丸機に入れ、なんと、足でグッと押し出します。

そうすると、にゅるっと棒状に生薬が出て来ます。

そして、粒状に切り分けます。

切ったものはこんな感じ。

それを、こうやって板と板で挟み、クルクルと回転させながら生薬を丸めていくのです。

そうすると、均等に丸くなっています。

丸まった生薬は網に乗せて乾燥させます。

乾燥させるとこんな感じ。
ちゃんと薬っぽくなってますね~

ちなみに、私がやってみるとこんな感じ。
板の上から手の内側に伝わる感覚で「あ、こりゃ絶対ダメだな」とわかりました・・・

こういう型に入れて押し出す方法もあります。

二階のレストランで薬草茶を飲みます。
ダンナは明日葉茶、私はクコの葉のお茶です。

クコの実は知ってるけど、クコの葉ってお茶になるんですね~
昔は身分の高い人しか飲めなかったそうです。
「う~ん。なんか、嗅いだことのある匂い・・・」
「あるね、確実にあるね。でも、何だろう?」
「トウモロコシ・・・?いや、繊維質の多い豆を茹でたような匂いと味・・・」
なんとな~く、泥臭いっていうか、雨上がりの土の匂いというか・・・う~ん、何なんでしょ(聞くなよって?)


レトロなパッケージの薬がいっぱい


郵便局のご当地フォルムカード
「富山の薬売」とは
顧客情報が記載された懸場帳(かけばちょう)をもとに、顧客のもとを訪ねる医薬販売人。
あらかじめ医薬品を配置しておき、使われた分だけ支払いを受ける「先用後利」(せんようこうり)が特徴。

こうやって薬屋さんごとの赤い箱に購入した薬を収納していたようです。
胃腸薬に便秘薬、風邪薬に鼻炎薬、咳止め、痛み止め、神経痛、関節痛、婦人薬など・・・
小袋入りでだいたい、2包・3包・6包とか使い切りやすい分量が入っています。

訪問先の子供には紙風船などのお土産を渡していたそうで、子供は薬屋さんが来るのを楽しみにしていたそうです。

では、また市電に乗って昼食を食べに行きましょう

2020-10-20
秋風に凍えて、黒部峡谷トロッコ列車の旅
10月16・17日と富山県に行って来ました。
一日目の16日は、山岳鉄道で黒部渓谷への旅を楽しみます。


駅構内の待合室。

壁一面に使用されている天然石は、ご当地宇奈月町下立産「オニックスマーブル」という大理石。
国会議事堂にも使われているとか。

近代的で洒落た駅ですな

富山地方鉄道「新黒部駅」から宇奈月温泉駅まで向かいます。

リゾートちっくな駅

92℃ うっかり触ったら火傷します

ホームには足湯


日本一深いV字峡の全長は86㎞
電源開発を目的に建設が進められ、戦後、観光鉄道として整備されました。
黒部峡谷の宇奈月から欅平まで、全長20.1kmを片道1時間20分で結びます。

では、しゅっぱ~つ!
ちなみに、案内のアナウンスは富山出身の女優・室井滋さんです。


ゴツゴツした岩がむき出しのトンネルをいくつも通りぬけます


ここはヨーロッパか?
新柳河原発電所

何か所もある、冬期通路。
空気穴が開いているのが見えます?

こんな場所での工事も大変だな~

黒部第二発電所

出し平ダム

終点の欅平駅です。

帰りのトロッコの出発まで1時間半。

人喰い岩

落石注意







一人では歩きたくないな~


トロッコに1時間20分も乗っていると体の芯からキンキンに冷えています。
なので・・・

足湯に入って体を温めねば・・・






鐘釣駅ではスイッチバックが体験できます。

同じ道を帰るのに、時間が短く感じるのはナゼだろう


おさるさん用の橋。ホントに利用しているそうです。
結構長い橋なのに、怖くないのかな~

郵便局で売っている、ご当地フォルムカード

夜は富山駅の中にある、氷見の「きときと寿司」

100円寿司じゃないから、一皿一皿にドキドキ・・・

白エビに牡蠣に・・・

太刀魚にかんぱちに、あと何だっけ・・・
翌日につづく
2018-07-18
ラーダ・ダンナの夏休み② 思い出を辿って・・・ 富山県 国宝 高岡山 瑞龍寺
さて、あの臨時バスには間に合ったのでしょうか・・・。

な、なんと!

3分前に到着!
13時台のバスを逃したら15時台までありませんでした
神様、ありがと~!
高岡駅方面に戻りつつ、目的地を目指します。
あれですよ、あれ・・・見えます?

よくわかりませんか?

あれですってば!

じゃじゃ~ん!

高岡大仏です。
奈良、鎌倉につぐ日本3大仏に数えられる「高岡大仏」。
なかなかイケメンでしょ?
1933年に高岡を訪れた歌人の与謝野晶子が、高岡大仏を「鎌倉大仏より一段と美男」と評したとか。
離れて見てみると端正な顔立ちだとわかります

そのあと、高岡古城公園まで歩いて射水神社へおまいり。

射水神社(いみずじんじゃ)は、富山県高岡市の高岡古城公園内にある神社。越中国一宮。
射水神社の祭神「瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)」は、伊勢神宮に祀られる天照大神の孫神様。「二上神」とも称され、稲作文化を日本全土に広めたという経緯から、五穀豊穰や商売繁栄の守り神とされる。

参拝中に雨が降って来たので、社務所の方がタクシーを呼んでくれました。
次に向かったのが、国宝 高岡山 瑞龍寺。

加賀藩二代藩主前田利長公の菩提寺
加賀藩百二十万石の財力を如実に示す江戸初期・禅宗に典型的な建物群である。仏殿、法堂、山門が国宝に、総門、禅堂、高廊下、回廊、大茶堂が重要文化財に指定されている。
(公式HPより)

瑞龍寺(ずいりゅうじ)は、富山県高岡市にある曹洞宗の仏教寺院。山号は高岡山。本尊は釈迦如来。開基は前田利常、開山は広山恕陽。仏殿、法堂、山門の3棟が近世禅宗様建築の代表作として、平成9年(1997年)に国宝に指定されている。これは富山県下における初の国宝指定であり、平成28年(2016年)現在も富山県唯一の国宝である。
(ウィキペディアより)

この時は、あちこちが改装中でした。

瑞龍寺は今回、ダンナが行きたいと望んだ思い出の場所でした。
30年前の中学3年生の時に一人で高岡を旅し、ユースホステルに宿泊したそうですが、なぜか、それが瑞龍寺の中だったとか。
寺の畳敷の部屋に天井から蚊帳を吊るし眠ったそうですが、夜には部屋の中にコウモリが入って来たそうです。
しかし、あの時は今のような芝生敷でもなかったし、なんだか雰囲気も違うような・・・・ということを、受付で話したら、ボランティアガイドさんが案内してくれることになりました。
女優のキムラ緑子さんに雰囲気が似たガイドさんが富山弁で説明してくれるので、なんだか親戚のおばちゃんと一緒に旅している気分に・・・(富山弁って少し関西弁っぽい?)

この時は地元の中学生たちが障子の張替えのお手伝いに来ていたので、全部外されていました。

台所
瑞龍寺は近世を通じて前田家の手厚い保護を受け、寺領三百石を有する大寺であった。延享3年(1746年)の火災で山門を含む伽藍の前半部分が焼失し、山門が再建されたのはそれから約70年後の文政3年(1820年)であった。
江戸時代には総門と山門の間の僧堂(禅堂)側に七間浄頭(東司〔トイレ〕)、大庫裏(おおくり)側には浴室があり、七堂伽藍が揃っていたが、明治時代に入り加賀藩の庇護を受けられなくなり困窮し、部材を売るため解体され現在に至っている。
(ウィキペディアより)

伽藍は、鎌倉時代に広く日本でも広まった中国の寺院建築を模して建設され、総門・山門・仏殿・法堂を一直線に配列し、左右に禅堂と大庫裏を置き、四周を回廊で結んでいます。
※伽藍(がらん)は、僧侶が集まり修行する清浄な場所の意味であり、後には寺院または寺院の主要建物群を意味するようになった


芝の緑と障子の白と木の茶色のコントラストが綺麗ですね~

仏殿(国宝)

総けやきの入母屋造り。内部は吹き抜けになっており、47トンもある鉛瓦の屋根を海老虹梁など見事な組もので支える構造。

ダンナが泊まった部屋はおそらく、ここではないか?とガイドさん。


なんとなく、記憶が戻って来たみたい。

朝はここでありがたいお話を聞いたとか・・・。


障子が張替え中だったので、遮られることなく、素敵なお庭の景色が見えました。

皆さま、こちらがあの「トイレの神様」で有名な、烏枢沙摩明王(うすさまみょうおう)です。
下の仏様・安産の仏様と言われているそうです。
とある本によると・・・
烏枢沙摩明王は、トイレなどの不浄の場所を清めてくれる。汚いものを見たり触ったりした時のお祓い、祟りよけに・・・。出産の神様、財運の神様でもあるそうですよ~
そして、へぇ~と思ったのは・・・
もし、妊娠中の女性のお腹の中にいる胎児が女の子だったとしても、希望すればなんと男の子に変成させてしまうこともできるとか。
これは、古代インドの男尊女卑的な発想の影響なのかもしれませんが、どうしても男の子が欲しい夫婦は「変成男子(へんじょうだんし)の法」でこの明王の力を借りてみては・・・
と、紹介されています。

ポストカードを買って額に入れ、トイレの目線よりも高い位置に飾りました。

売店でお香と香皿、塗香(ずこう)を購入。

塗香は仏前で自らの心身を清めるために使用するものだとか。
ごく微量を掌にとり、手や体に塗ると体温で温められることで香りが立ち上がります。
いちいち袋を開け閉めするのもその都度面倒なので、半分だけ容器に移し、神棚の榊の水を変えたり、お供えするときなどの前に使用することにしました。
とても高貴で良い香りです。
そのうち、これが私の体臭になったりして・・・。

ガイドさんお勧めの鉛の花立(鉛は高岡名産)

一輪でも美しく活けられます。


それでは、宿泊先の金沢へ向かいます。


な、なんと!

3分前に到着!
13時台のバスを逃したら15時台までありませんでした

神様、ありがと~!
高岡駅方面に戻りつつ、目的地を目指します。
あれですよ、あれ・・・見えます?

よくわかりませんか?

あれですってば!

じゃじゃ~ん!

高岡大仏です。
奈良、鎌倉につぐ日本3大仏に数えられる「高岡大仏」。
なかなかイケメンでしょ?
1933年に高岡を訪れた歌人の与謝野晶子が、高岡大仏を「鎌倉大仏より一段と美男」と評したとか。
離れて見てみると端正な顔立ちだとわかります


そのあと、高岡古城公園まで歩いて射水神社へおまいり。


射水神社の祭神「瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)」は、伊勢神宮に祀られる天照大神の孫神様。「二上神」とも称され、稲作文化を日本全土に広めたという経緯から、五穀豊穰や商売繁栄の守り神とされる。

参拝中に雨が降って来たので、社務所の方がタクシーを呼んでくれました。
次に向かったのが、国宝 高岡山 瑞龍寺。

加賀藩二代藩主前田利長公の菩提寺
加賀藩百二十万石の財力を如実に示す江戸初期・禅宗に典型的な建物群である。仏殿、法堂、山門が国宝に、総門、禅堂、高廊下、回廊、大茶堂が重要文化財に指定されている。
(公式HPより)

瑞龍寺(ずいりゅうじ)は、富山県高岡市にある曹洞宗の仏教寺院。山号は高岡山。本尊は釈迦如来。開基は前田利常、開山は広山恕陽。仏殿、法堂、山門の3棟が近世禅宗様建築の代表作として、平成9年(1997年)に国宝に指定されている。これは富山県下における初の国宝指定であり、平成28年(2016年)現在も富山県唯一の国宝である。
(ウィキペディアより)

この時は、あちこちが改装中でした。

瑞龍寺は今回、ダンナが行きたいと望んだ思い出の場所でした。
30年前の中学3年生の時に一人で高岡を旅し、ユースホステルに宿泊したそうですが、なぜか、それが瑞龍寺の中だったとか。
寺の畳敷の部屋に天井から蚊帳を吊るし眠ったそうですが、夜には部屋の中にコウモリが入って来たそうです。
しかし、あの時は今のような芝生敷でもなかったし、なんだか雰囲気も違うような・・・・ということを、受付で話したら、ボランティアガイドさんが案内してくれることになりました。
女優のキムラ緑子さんに雰囲気が似たガイドさんが富山弁で説明してくれるので、なんだか親戚のおばちゃんと一緒に旅している気分に・・・(富山弁って少し関西弁っぽい?)

この時は地元の中学生たちが障子の張替えのお手伝いに来ていたので、全部外されていました。

台所
瑞龍寺は近世を通じて前田家の手厚い保護を受け、寺領三百石を有する大寺であった。延享3年(1746年)の火災で山門を含む伽藍の前半部分が焼失し、山門が再建されたのはそれから約70年後の文政3年(1820年)であった。
江戸時代には総門と山門の間の僧堂(禅堂)側に七間浄頭(東司〔トイレ〕)、大庫裏(おおくり)側には浴室があり、七堂伽藍が揃っていたが、明治時代に入り加賀藩の庇護を受けられなくなり困窮し、部材を売るため解体され現在に至っている。
(ウィキペディアより)

伽藍は、鎌倉時代に広く日本でも広まった中国の寺院建築を模して建設され、総門・山門・仏殿・法堂を一直線に配列し、左右に禅堂と大庫裏を置き、四周を回廊で結んでいます。
※伽藍(がらん)は、僧侶が集まり修行する清浄な場所の意味であり、後には寺院または寺院の主要建物群を意味するようになった


芝の緑と障子の白と木の茶色のコントラストが綺麗ですね~

仏殿(国宝)

総けやきの入母屋造り。内部は吹き抜けになっており、47トンもある鉛瓦の屋根を海老虹梁など見事な組もので支える構造。

ダンナが泊まった部屋はおそらく、ここではないか?とガイドさん。


なんとなく、記憶が戻って来たみたい。

朝はここでありがたいお話を聞いたとか・・・。


障子が張替え中だったので、遮られることなく、素敵なお庭の景色が見えました。

皆さま、こちらがあの「トイレの神様」で有名な、烏枢沙摩明王(うすさまみょうおう)です。
下の仏様・安産の仏様と言われているそうです。
とある本によると・・・
烏枢沙摩明王は、トイレなどの不浄の場所を清めてくれる。汚いものを見たり触ったりした時のお祓い、祟りよけに・・・。出産の神様、財運の神様でもあるそうですよ~
そして、へぇ~と思ったのは・・・
もし、妊娠中の女性のお腹の中にいる胎児が女の子だったとしても、希望すればなんと男の子に変成させてしまうこともできるとか。
これは、古代インドの男尊女卑的な発想の影響なのかもしれませんが、どうしても男の子が欲しい夫婦は「変成男子(へんじょうだんし)の法」でこの明王の力を借りてみては・・・
と、紹介されています。

ポストカードを買って額に入れ、トイレの目線よりも高い位置に飾りました。

売店でお香と香皿、塗香(ずこう)を購入。

塗香は仏前で自らの心身を清めるために使用するものだとか。
ごく微量を掌にとり、手や体に塗ると体温で温められることで香りが立ち上がります。
いちいち袋を開け閉めするのもその都度面倒なので、半分だけ容器に移し、神棚の榊の水を変えたり、お供えするときなどの前に使用することにしました。
とても高貴で良い香りです。
そのうち、これが私の体臭になったりして・・・。

ガイドさんお勧めの鉛の花立(鉛は高岡名産)

一輪でも美しく活けられます。


それでは、宿泊先の金沢へ向かいます。

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